阪神・淡路大震災

● 阪神・淡路大震災

15年前の今日、わたくしは関東にいく予定でいつもより早めに起き準備を整えリビングでくつろいでおりました。

5時46分 下からゴゴゴ・・・と地響きとともに突き上げるような上方向の衝撃あり、何事かとうろたえていると、

その直後、右、左、と今まで経験したことのない揺れ(揺れというような生易しいものでなく、右に思い切り振ったあと、勢い付けてまた左に大きく振る、ということをいくどとなく繰り返すいまだかつて経験したことのない凄まじい揺れ)に襲われた。

わたくしはこれは尋常じゃないと危険を感じ、その揺れのさなか立ち上がってリビング横の和室に寝ていた夫と娘二人のところに行こうとしたが、たった2メートル弱の距離がまっすぐ歩けない。


這うようにして和室に向かうと、そうこうしているうちに襖が倒れ、わたくしはその隙間からようやく和室に入り込み夫を起こそうとしたら、そのまま夫の体の上に倒れこむ形になり、揺れている間は二人が重なったような状態でそのままなすすべもなく。

その間夫も目をあけ空中を見つめておりました。

後で何考えていたか聞いたら「あ~このマンション壊れるな、もう死ぬな」と。

ものすごい轟音とともに家が揺れている間、食器棚のドアが開いたり閉じたりしていた。わたくしは夫の身体のうえでうずくまったまま「あの食器はそのうち全部落ちるだろう」とかなにがなんだか分からないぼーっとしたような妙な感覚に襲われていた。

幸い、マンションの倒壊はなかったが、その後、水道、電気、ガスがすべてストップした。

真っ暗な中、懐中電灯で明かりを得、夫はラジオを聞いていたが、そこで長田区で火災が発生していると知った。

ようやく電気が復旧したのが昼過ぎ、そこで初めてテレビで大火災を見、この地震が尋常ではないことを知った。


6434人が犠牲になった阪神大震災から丸15年。

表面的には復興したがまだまだその傷跡に苦しんでいる人も多い。

その直後は、「お金なんかじゃない、もっと大切なものがある」と日本中の人が思ったはず。その想いが最近また忘れ去られているように思う。

怖さと寒さに震えていたたくさんの人たち・・・そして亡くなられたたくさんの人々。


あの頃得た多くの教訓を生かしていくのが生き残ったわたくしたちの使命ではないか、と思います。